豊臣秀吉に仕えた日本茶道界の礎を築いた天才茶人『千利休』物語
利休(当時の名前・宗易)がある茶道の大家に弟子入りに行った
利休(宗易):「何でもやりますのでお茶を教えてください。」
ここでちょっとした意地悪をされた
大家:「ならばこの庭をきれいに掃除してみよ!」
え?もう枯葉一枚も落ちていないほど綺麗じゃないですか!?
すると 宗易はある事をひらめき
突然庭の紅葉を揺らし始めた
大家:「何をする!宗易!」
利休(宗易):「秋は枯葉の落ちてこその秋不自然に掃除された庭より
この方がよほど綺麗で風情があると思いませんか?」
大家:「なんと見事な・・・」
利休は単なる清潔感ではなく
「美と自然」の調和を落ち葉で表現したのである
その後 豊臣秀吉に仕え茶道の常識を一気に覆す
これまでの茶道は諸大名や身分の高い者しか出来なかった
秀吉:「やはり茶は中国渡来の高価な天目碗がなければ始めらないのう利休」
利休:「太閤様 茶は道具の善し悪しではなく もてなそうとする心が大事なのです
気持さえこもっていれば道具は有り合わせの物でいいのです」
利休は庭にある竹を切って花入れにしたり、
オリジナルの安い茶碗を作ったりして、
それまで高価なイメージがあった茶道を
庶民も愉しめるものとして広めた
一度茶室に入れば、人間の身分に上下は無い
というのが利休の考えであった
そのため、ちょっとした事件が起きた
秀吉:「なんじゃこの狭い入口は!
わしに対する嫌がらせか!」
利休:「いえ、ちゃんと意味がございます
どうぞ、お入りください」
利休の茶室には、にじり口という狭い入口が設けられ
天下人、秀吉ですら一旦頭を下げなければ入れない工夫がされた
たとえ秀吉でも茶室内においては平等だと利休は言いたかったのである
秀吉の同席していた家来が誤って茶をこぼし
家来:「すいませぬ!利休殿がせっかく入れてくれたお茶を!」
秀吉:「その方 茶会を何と心得る!
この無法者め!」
と叱りつけると
利休:「気になさるな 茶の湯は形ではなく
心を伝えるもの
今 そなたは心から詫びて下さった
それで十分な作法ですよ」
こうして天下の秀吉に対しても
いつも毅然としていた利休
その結果
秀吉:「おのれ利休!」
いつしか秀吉は利休を嫉妬するようになり
最後は濡れ衣を着せ
秀吉:「利休をただちに切腹させい!」
と自害を命じた
家来:「恐れながら申し上げます
なぜあの様に立派な利休殿を殺してしまうのですか?」
秀吉:「わしが利休を殺すのはたった一回
しかし わしは茶会の度に利休に殺されていた」
茶会で人間的な器の違いを見せつけられていた秀吉の本音だった
切腹の際 こんなエピソードが残されている
それは秀吉の使者が切腹を命じに来た時の事
使者:「利休殿・・・
太閤殿下よりのお言葉を申し上げる・・・
これよりただちに切腹せよ」
すると利休は
「辛いお役目
ご苦労様にございます
さぞ お疲れのことでございましょう
すぐにお茶の支度を致します」
使者:「利休殿・・・」
切腹を命じに来た使者に最後の茶をたてた
利休は69年の生涯をとじた